アメージング・サーフ・ストーリーズ

Amazing Surf Stories
1986年,アメリカ,80分
監督:スコット・ディトリッチ
音楽:イアン・スチュアート、タイ・ウラー、リック・シャープ
出演:ショーン・トムソン、マット・アーチボルド、トム・カレン

 6ヶ所のビーチで波に挑むサーファー達を映したドキュメンタリーフィルム。いわゆる「サーフィン映画」で、特にドラマもなく、エピソードが語られていく。風景やサーフィンしている姿はかなり目を奪うものがあるが、「映画」として見るには少々無理があるかも。しかし、意外といつまで見ていても飽きないのも不思議なところ。

 いわゆるサーフィン映画というのは、実質的にはビデオと同じでメディアとしてとしてフィルムが使われているというだけ。サーフィンというのは相当スピード感のあるものなので、もしかしたら、普通の映画とは違うコマ数で撮っている(普通の映画は毎秒24コマ)のかもしれない(高速度撮影ってやつね)。そうすると、スローモーションなんかは非常にきれいに写るわけですが、結局上映するときは24コマ/秒に戻すわけだから、他の部分はコマを飛ばして使うわけでいっしょになってしまう気もする。どうなんだろう。見た感じでは、他の16ミリの映画より(この映画は16ミリ作品らしい)映像がきれいだったように感じましたが…
 などと答えのわからない技術的な疑問などが浮かんでしまいましたが、サーフィン映画というのは意外と見ていて飽きない。ただ波に乗っているだけなのに、くっとみいってしまう。見ているうちに、それぞれの人の乗り方の違いなんかが分かってくるのも不思議。
 こんなものもたまにはいいかな。

トラフィック

Traffic
2000年,アメリカ,148分
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
原作:サイモン・ムーア
脚本:スティーヴン・ガガン
撮影:ピーター・アンドリュース
音楽:クリフ・マルティネス
出演:マイケル・ダグラス、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、ドン・チードル、ベニチオ・デル・トロ、ルイス・ガスマン、デニス・クエイド

 メキシコ、たれこみ情報によって麻薬の密売を阻止した警察官ハビエル。ワシントン、新しく麻薬取締りの責任者となった判事のウェイクフィールド。サン・ディエゴ、息子をプロゴルファーにしようと話す上流階級の婦人ヘレナ。シンシナティ、友達とドラッグをやるウェイクフィールドの娘キャロライン。これらの人々が中心となって、麻薬を巡る複雑なドラマが織りなされる。
 今乗りに乗っているソダーバーグが監督をし、カメラも持った野心作。役者を生かすのがうまいソダーバーグらしく主役といえる役割を演じる人々の誰もが魅力的。特にアカデミー助演男優賞を獲得したベニチオ・デル・トロとドン・チードルがいい。

 最近、全体にブルーがかった映像を使うというのをよく見ますが、この映画もそれを使っています。まずそのブルーがかった映像が出てきて、そのあと普通の色になって、それから黄色がかった粗い映像になる。黄色がかった粗い映像がメキシコのシーンであることは明らかなものの、ブルーの部分はワシントンで使われていたという印象でしかない。ブルーノ部分よりむしろ、メキシコの場面が映像が特異でしかも、スペイン語をそのまま使ったというところでなかなか面白い。
 しかし、自らカメラを握ったソダーバーグ(ピーター・アンドリュースは偽名。アカデミーの規則化何かで監督と撮影を両方やるとなんだかまずいらしい)のこだわりはむしろ手持ちにあるのでしょう。この映画はほとんどが手持ち。普通の会話のシーンなどでも手持ち。ドキュメンタリーっぽさをだすためには手持ちが一番ということなのか、それともただ好きなだけなのか…
 などなど映像的な工夫も見られる作品ではありますが、結局のところソダーバーグの真骨頂は役者の使い方。それは「エリン・ブロコビッチ」のジュリア・ロバーツを見ればわかるとおり。この作品でもマイケル・ダグラス、ベニチオ・デル・トロなど、(私としては)なんとなくパッとしない印象の役者を見事に使っている。そのあたりがすごい。なぜそうなるのかはわかりません。しかし、ソダーバーグの映画は結局のところ役者の映画になってしまうということ。個人的にはそういう監督は非常に好みです。

華岡青洲の妻

1967年,日本,100分
監督:増村保造
原作:有吉佐和子
脚本:新藤兼人
撮影:小林節雄
音楽:林光
出演:市川雷蔵、若尾文子、高峰秀子、伊藤雄之助、杉村春子(語り)

 田舎の武家の娘である加恵は近くの田舎医者・華岡直道の評判の妻であるお継に憧れを抱いていた。華岡家に妻にと請われた加恵は父の反対を押し切って華岡家に嫁いだ。最初は仲睦まじくやっていた加恵とお継だったが、留守にしていた夫の雲平(青洲)が帰ってくると、徐々に関係に変化が現れてくる…
 江戸時代の実在の医者華岡青洲を描いた有吉佐和子のベストセラー小説の映画化。とはいっても増村色はかなり色濃く、物語も映像もまぎれもなく増村保造という作品。

 物語が増村的であるのは、結局のところこの映画が1人の男を巡る2人の女の戦いという要素に還元できるからだろう。そういった状況での女の激しい愛情というものは増村が繰り返し描いてきたことであり、それが舞台が江戸時代となり、二人の女の関係が嫁と姑となったところで本質は変わらない。そのような物語だからこそ、そのように描ける自信があったからこそ、増村は映画化を熱望したのだろう。
 映像が増村的であるのは、やはり構図。構図に工夫が凝らされているのはいかにも増村らしい。しかし、この映画が他の映画と少々異なっているのは、3人以上の人がいるシーンが多いということ。増村の映画は全体的に見てみると、2人の人間を描いた場面が多い(ような気がする)。しかし、この映画は3人以上(特に3人)の人間を描く場面が非常に多い。そこでは2人の場面とは明らかに異なる構図の工夫がなされている。そしてそれは、会話をしている二人と、しゃべっていない1人の位置関係という形で特にあらわれる。後姿の青洲をはさんで(これによって画面は完全に二分割される)話す加恵とお継を配したシーンや、画面の右半分の手前でしゃべる加恵と青洲に対して、左側の奥でじっと座っているお継を描いた場面などがそれであるが、このときの会話に参加していない一人の存在が非常に面白い。わかりやすく表情で語らせる場面もあるが、ただの背中や表情の変わらない横顔であっても、それが語ることは非常に多く、物語を視覚的に展開させていくのに非常に効果的だ。
 個人的にはこれはかなりいいと思います。静かな映像の中に凝らされた工夫というのはかなり好み。

やくざ絶唱

1970年,日本,92分
監督:増村保造
原作:黒岩重吾
脚本:池田一朗
撮影:小林節雄
音楽:林光
出演:勝新太郎、大谷直子、田村正和、川津祐介

 幾人かの舎弟をしたがえるやくざ立松実は妹のあかねと暮らしていた。妾だった母が死んでからずっとあかねを育ててきた実はあかねに並々ならぬ愛情を注いでいた。しかし、そのあかねももう高校を卒業する年齢になっていた…
 「兵隊やくざ」いらいの増村保造と勝新太郎のコンビ。体裁はやくざ映画だが、内容は増村らしい愛憎劇。兄弟の間の愛情を描いたという意味では「音楽」に通じるものがある。役者陣もかなり興味深く、増村節も効いているなかなかの作品。

 まずタイトルまでの一連の場面が音楽とあいまって絶品。これから始まるものへの期待をあおるだけのものはここにある。始まってみればテンポよく、中盤あたりまではするすると進んでゆく、このあたりは増村らしさを見せつつも、「やくざもの」というジャンルに当てはまるような映画として出来ている。しかし、結局この映画の真意はそこにはないので、後半はどろどろ愛憎劇へと変化していく。このあたりの展開がいかにもな感じでいい。
 などなど、かなり物語として非常に楽しめましたが、映画としてはどうかというと、増村の映画というよりは勝新の映画。勝新を中心とした役者さんたちが圧倒的な存在感を持つ映画。なので、他の増村映画のように構図とか、繋ぎとかいうことにあまり注意が向かない。もう一度見れば細部に気が回るのだろうけれど、一度見ただけでは(わたしには)ムリ。
 そんな増村映画もたまにはあっていい。やはり勝新はすごいのか。あるいは勝新の映画になるように増村が仕組んだのか?

音楽

1972年,日本,104分
監督:増村保造
原作:三島由紀夫
脚本:増村保造
撮影:小林節雄
音楽:林光
出演:黒沢のり子、細川俊之、高橋長英、森次浩司

 精神科医汐見のところにやってきた女弓川麗子は「音楽が聞こえない」と言い出す。しかし、麗子はやってくるたびに話がころころ変わり、的を得ない。それでも汐見は徐々に麗子の症状の核心を探っていく。
 大映を出た増村保造が行動社とATGの製作で作ったフィルム。十数年振りにスタンダードサイズの画面を使い、これまでとは異なる映画を作り出そうとしている野心が感じられる作品。

 ちょっと全体的にストーリーに現実味がないのが気になる。なんといっても精神科医汐見の診察や診断の仕方が素人目に見ても素人くさいのがどうにも気になる。こういう細部が気になるとどうしても入っていけないのが映画の常。乗りに乗っている増村映画なら、そんな些細な細部の齟齬は勢いで吹き飛ばしてしまうのだけれど、この映画にはその勢いが足りない。映画のスピードとしては決して遅くはないのだけれど、そのスピードが負うべきプロットに齟齬が起きてしまっているので、どうしてもスピードに乗り切れない。そのあたりがちょっと不満なわけです。
 しかし、黒沢のり子はなんだか渥美マリみたいで(話し方もかなり似ている)、増村好みの質感がよく、演技もオーバーではあるのだけれど、いかにも増村世界の住人という感じがしてよかった。細川俊之はやや難。
 そして、こういうどろどろ系のドラマでスタンダードサイズというのが最後までどうもしっくりこなかった。横に広く使う増村らしさが出せないよ! と憤ってみたりもする。なぜなのだろう? 増村自身の試みなのか、それともATGの目論見が含まれているのか?
 などなど、増村ファンには疑問の尽きない作品でしょう。

ミラーズ・クロッシング

Miller’s Crossing
1990年,アメリカ,115分
監督:ジョエル・コーエン
脚本:イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン
撮影:バリー・ソネンフェルド
音楽:カーター・バーウェル
出演:ガブリエル・バーン、アルバート・フィニー、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジョン・タトゥーロ、スティーヴ・ブシェミ

 1929年、アメリカ。街のボス・レオは腹心のトムに全幅の信頼を置いていた。トムは孤高の男で、賭けの借金がかさんでもレオに頼ろうとはしなかった。一方、街では最近イタリア系のギャング・キャスパーが勢力を伸ばしつつあった。そんなある日、レオの情婦ヴァーナが夜中トムのもとを訪れる。
 そこらのギャング映画とはまったく違うコーエン兄弟独特の雰囲気がすべてを染める。ストーリー、フレーミング、音楽、カメラの動き、どれをとっても一級品のコーエン兄弟渾身のフィルム・ノワール。

 やはり、この演出力とカメラの動かし方、音楽の使い方と何をとっても圧倒的な力を持つ作品。それが最も現れているシーンは、レオが機関銃を持った殺し屋に襲われるシーン。蓄音機から流れるオペラに乗って、ものすごい撃ち合いが、想像だにしない形で映像化される。
 この作品で一番目を引くのは被写体の大きさの急激な変化。アップでとらえていた人を急にひきの画で撮ったり、もちろんその逆があったり、ズームアップやトラックアップも変化をつけて使っている。最近非常によく使われるコマ送りのようなズームアップ(分かるかな?これで)が、しっかりと使われていることもいま見るとかなり目をひく。
 他にもたくさん書くことはありそうですが、例えば、小さな繰り返しの使い方。一番大きいのは帽子、それからミラーズ・クロッシング(十字路)の遠景。だけれど、クラブの表札、トムの部屋の電話などなど、最初は何の説明もなくポンとでてくるものが繰り返されるうちに、終盤にはぱっと画面に登場しただけで、それが何であるかが分かるような演出。そのあたりもかなり周到な計算が感じられる。
 あとは、微妙に語られるホモセクシュアルのことなんかもいいですね。ホモセクシュアルな三人の関係性は実はトムとレオとヴァーナの関係性と完全に対照のものとして物語に大きな役割を負っているにもかかわらず、それをこの20年代という時代にあわせて、隠してしまう。これもまたかなり微妙でうまい脚本といいたいところ。

ビッグ・ムービー

Bowfinger
1999年,アメリカ,97分
監督:フランク・オズ
脚本:スティーヴ・マーティン
撮影:ウエリ・スタイガー
音楽:デヴィッド・ニューマン
出演:スティーヴ・マーティン、エディ・マーフィ、ヘザー・グレアム、テレンス・スタンプ、ロバート・ダウニー・Jr

 貧乏プロダクションを経営するボウフィンガーは会計係のアフリムの脚本に感動し、映画化しようと決意する。しかし金もコネもないプロダクション。あの手この手でプロデューサーに脚本を見せ、大スターのキットの出演を条件に製作が許可された。ボウフィンガーはさらに強引な手で映画を作り始める…
 スティーヴ・マーティン脚本によるコメディ。全体の筋はともあれ、かなり笑えるネタがちょいちょいちりばめられていて、十分楽しめる。コメディファンなら必見、普通の映画ファンなら暇な時にどうぞ。豪華キャストだしね。

 こういう微妙なコメディ映画は難しいと実感。全編にわたって大爆笑というわけではなく、ストーリーは特に面白いわけでもない。やはり日本人ではストーリーが面白い映画がヒットする(と私は思っている)ので、こういう映画は難しいのかも。しかしコメディ映画ってものは、スポットスポットで面白ければいい(と私は思っている)わけで、その意味では十分ではある。
 特にお気に入りのネタは「KKK」と「フリーウェイ」のところかな。あとはメキシコ人がコッポラから電話を受けるところ。
 一つ不満があるとすれば、オチがオチきっていない。やはりコメディはオチ命、途中のネタの3倍くらいオチは大事(と私は思う)なので、このなんともだるだるのアメリカ的オチはどうもね。ということです。

ロクスベリー・ナイト・フィーバー

A Night at the Roxbury
1998年,アメリカ,82分
監督:ジョン・フォーテンベリー
脚本:スティーヴ・コーレン、クリス・カッテン、ウィル・フェレル
撮影:フランシス・ケニー
音楽:デヴィッド・キティ
出演:ウィル・フェレル、クリス・カッテン、ダン・ヘダヤ、リチャード・グリエコ、マイケル・クラーク・ダンカン

 造花屋のさえないダグとスティーヴの2人の息子は父親の店を手伝いながら夜はクラブ通い。しかし、とにかくさえないしお金もないので、有名なクラブには入ることすら出来ない。彼らの憧れはロクスベリーという有名クラブ。将来そんなクラブのマネージャーになるのが夢だった。
 ウィル・フェレルとクリス・カッテンの2人が脚本と主演をした青春コメディ。この2人はどうもサタデー・ナイト・ライブ(SNL)系のコメディアンらしい。ウィル・フェレルは「オースティン・パワーズ・デラックス」にも出てました。

 若いコメディアンが映画を作る。これはよくある話。特にSNL系の人は古くは「ブルース・ブラザーズ」、最近では「ウェインズ・ワールド」に「オースティン・パワーズ」もある意味ではそう。しかし、この試みはなかなか成功しない。特に日本人のセンスではなかなか受け入れがたいものが多い。この作品もそんな感じ。時代とのギャップとナンセンスさを使って笑いを作り出すというやり方、しかも時代のはやり物をネタとして使っているので、日本人には非常に分かりにくい。
 そもそも、スターとして登場したリチャード・グリエコも決してメジャーではない。この人は大ヒットドラマ「21ジャンプ・ストリート」でジョニー・デップとともに人気者だったらしい。このドラマはこのメルマガでは「ロックド・アウト」というビデオ化されたもので紹介しましたが、覚えている人はほとんどいないでしょう。このビデオでは、ブラッド・ピットがゲスト出演していました。でもリチャード・グリエコのことはまったく覚えていない。
 というとてもマイナーな感じの映画。でも、決してみていていらいらするとかむかつくとかいうつまらなさはなく、たいして面白くもないけど、つまらなくもないという程度。おそらくこの2人はコンビでSNLではそれなりの人気があって、コーナー持ってて…、なのでしょう。きっとそっちのほうが面白いんだろうな。
 あとは、ロクスベリーの入り口の人は「グリーン・マイル」の人だった。オーナーは「アナライズ・ミー」の人だった。など、見たことある人多数出演という感じ。
 こう書いてみると、結構B級の楽しさ満載の映画なのかもしれない。

スクリーム3

Scream 3
2000年,アメリカ,117分
監督:ウェス・クレイヴン
脚本:アーレン・クルーガー
撮影:ピーター・デミング
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ネイヴ・キャンベル、デヴィッド・アークエット、コートニー・コックス・アークエット、パトリック・デンプシー

 実際にあった殺人事件に基づいた映画「スタブ3」の撮影中、出演者が次々と殺されていった。映画では犯人役を演じるシドニーは死の恐怖におびえる。果たして犯人は誰なのか…
 スクリーム・シリーズの3作目。相変わらずユーモアありで、それほど怖くないところがこの映画のすごいところ。犯人を当てるのがこのシリーズの楽しみでもある。

 やはりやはり、どんどんパワーダウンしていくシリーズもの。重要そうな人物がどんどん殺されていってしまうところはいいけれど、結局のところ怖くないのが難点。あっさり殺しすぎなのか?
 それに、犯人が地味すぎ。犯行の動機もかなり無理やり。というわけで、謎が解かれてもあまりすっきりしないというのは、簡潔さだけがとりえのスクリーム・シリーズとしては致命的かもしれない。
 今回で完結ということらしいけれど、これで終わっていいのか! という気もしないでもない。しかし、だいぶ死んでしまったから次の作品を作るとなるとまた新しい人をたくさん登場させないとね。

ザ・セル

The Cell
2000年,アメリカ,107分
監督:ターセム・シン
脚本:マーク・プロトセヴィッチ
撮影:ポール・ローファー
音楽:ハワード・ショア
出演:ジェニファー・ロペス、ヴィンセント・ドノフリオ、ヴィンス・ヴォーン、マリアンヌ・ジャン=バプティスト

 シカゴ郊外のキャンベル・センター、意識不明の少年の脳に入り込み少年を治療しようと奮闘する女性キャサリン。一方、女性を強姦し漂白して遺棄する連続殺人事件を追うFBI、そしてその犯人。犯人は意外とたやすくFBIに追い込まれ捕まるが、病気の発作で意識を失っていた…
 ミュージックビデオ出身の監督ターセム・シンの初監督作品。驚異的な映像で見るものを圧倒するSF・サイコ・ホラー。クローネンバーグとか好きで、サイコ系もドンと来いという人ならば、ツボに入る可能性大。こういう映画は大画面・大音響で見ないとね。

 音楽がハワード・ショア(「イグジステンズ」「セブン」)ということで、わかりやすくショッキングな音作りがされていました。しかし、それはそれでかなり心理的な緊迫感を与えるのに役立っていて、大音響下ではかなりびくびくしながら見ざるを得ないという感じ。そして、内部空間がそれ自体で怖いものとして作られており、さらにジュリアのところでのスリル(これはたいしたものではないけれど)もあり、スリラーとしてはなかなかのもの。
 映像も予告でおなじみ馬の輪切りなど、見るべきところはまああって、カメラの動かし方もいかにもスリラーっぽくてよい。最も顕著なのはカットのつなぎに急速なパン移動を入れるというようなところ。こういうつなぎを見ると、「あ、これはサイコ系ね」と納得出来る。
 というわけで、どこをとってもサイコスリラー。そのほかの要素はどこかに飛んで行ってしまった感じ。ストーリーとか、SF的な部分の細部とかそんなものはどうでもよくて、「とりあえず、怖がらせよーぜ」みたいなスタンスが開き直っていて好感が持てました。